こらむ3;病と癒しの意味 |
−病とは・・ ![]() 人は何故病むのでしょうか。体質、ストレス、或いは遺伝、環境・・。 年をとるにつれ、アポトーシスなど生存と成長のメカニズムに逆行するような様々な生理機能の協調性を乱す不協和音の軋みが、体のあちこちで聞こえ始めます。 老化遺伝子のせいでしょうか。年とともにホ ルモンは微妙な調節機能にミスが目立ち始め、自律神経のバランスが崩れ始めます。血液の性状が汚れてよどみ、体内毒素の外部への排泄が間に合わなくなります。 体の臓器自身の、ミクロな栄養成分の循環を維持し、本来備わった自己修復する機能も、体内毒素の循環がある限度を超えてしまうと、悲鳴を上げ始め、遂には正常な働きが出来なくなり、様々な病名のついた内臓の機能障害を引き起こし始めます。 それが関連する他の臓器にまで連鎖的に障害を及ぼし始めます。 −お口の病とは・・ そして、歯や歯ぐき、口腔粘膜など、一見お口という局所でも、他と独立していそうな組織も細菌どうしや免疫との相互作用のメカニズム、自律神経の駆け引きなどは やはり全身の生命力、免疫力の影響を間接的ながら受けます。 ,−心と免疫作用の低下・・ ストレスが続けば、自律神経のバランスが崩れ、免疫細胞との連鎖反応が生体にとりマイナスの方向に傾くでしょう。ストレスによる口腔周囲筋の緊張から歯軋り
や喰い縛りが生じて、顎の骨や歯ぐきに外傷性の障害を生じさせ、その結果お口の中の免疫力も劣勢にまわり、細菌のフローラのバランスも善玉菌が減って、毒性の強い悪玉菌が支配域を広めるようになります。化膿や炎症を容易に引き起こすような口腔環境に なり、やがては不快症状を伴う慢性炎症が続くようになります。 精神神経免疫学でも明らかなように、精神的ストレスは生体を防護する免疫細胞の活性を鈍らせます。即ち体の何処であれ、悪玉菌を退治してくれる免疫細胞のメカニズムに歪が生じるということです。 −活性酸素とお口の病・・ ![]() 細菌を溶かして殺すのに、免疫細胞の一部は活性酸素を大量に発生します。でも、その消去の為の調整メカニズムも生体は同時に備えていて、活性酸素による過剰な連鎖反応によって、生体の組織そのものをも傷つかせないようにしています。 そのバランスが崩れると、活性酸素の連鎖反応により、歯ぐきを破ったり骨を溶かしたりし始めます。 さらに、免疫力が弱くなれば歯槽膿漏などの悪だま菌が血流に乗って、心臓など全身の臓器にも悪影響を及ぼし始める危険性がでてきます。 それでも、体は必死で協調を保ち生命を維持しようと頑張ります。 体のさまざまな不定愁訴や痛み、不快感などはそうした悲鳴の表れなのでしょう。 腸の中には多くの微生物がいます。飽食により、微生物の層は悪玉菌へと悪性化していきます。その結果、腸は悪玉菌の放出した毒物を吸収し、体中を巡ることになります。そして、全体の協調系としての身体は、健康の維持に様々な軋みをあげはじめます。 その一つが歯周病と考えることもできます。たまたま、悪玉菌が居つき易い環境が、血液の淀んだお口の歯茎の中に見つかったに過ぎないのかもしれません。 でも、徐々に節食に努めると、最近の知見ではそうした腸にへばりついた毒物や悪玉菌をマクロファージという免疫細胞が食べてくれるそうです。 そうすると、ふさがっていた腸の吸収が良くなって、食物の栄養分がこれまで以上に十分に吸収できるようになるといわれます。宿便が出始めると、体中のホメオスタシスが協調して、治癒機転が一気に働き始め、様々な不定愁訴が、同時進行的に改善されていくようです。お口の中の歯周病もその例外ではないかもしれません。 −東洋医学の智慧・・ ![]() お薬で、とりあえず当面の不快症状や苦痛のみを取り除くことは出来るかもしれません。でもそれだけでは根本からの病の解決にはならないのでは。少し観点を変えてみましょう。いや180度逆転の発想かもしれませんが・・。 精神神経免疫学の知見のように、心の持ち様が、自分の免疫力を大きく左右するとしたら・・。 東洋医学では、様々な伝統的な手段を使って、 生体の”気”と呼ばれる生体エネルギーの力を最大限高めていくことが、様々な病を内から克服していくことだと伝えています。 同時に、東洋医学は、排泄の医学といわれます。様々な手法を用いて、体内にできた病的な産物を外に排泄します。それにより、同時に生体の気の巡りが促され、本来の健康を回復します。 でも、伝統医学ののもっとも大切な教えは、まずは節食をして、身体の排除能力を超えた毒をこれ以上溜め込まないことなのかもしれません。 だから、ここで発想の転換をはかって、食習慣を改めて、これまでの毒物を排除することを、健康なうちから少しずつ習慣化していく必要があるようです。 さあ、ここで、病の家からいったん飛び出して、森や野の中に自分の身をおいてみましょう。 心を大自然の中に解き放ち、原初の生命の記憶を呼び覚ませたとき、意識の中で何かが起こります。何故かおなかが温かくなり、体中にエネルギーが湧きあがるような喜びを感じ取れるかもしれません。 −生きているって・・ ![]() 自分が今こうして、ここに縁あって生かされているという不思議・・。 大いなる自然の中で、太陽の木漏れ日の中、 緑なす樹々の小さな葉の命と一緒になって揺らいでいる自分の暖かな心の翳・・。 大きな宇宙の揺らぎの中で、本来の心と体、周囲の全てのものとの穏やかで光り輝く統一の場が感じ取れる 伴に揺らぎ輝く一つ一つの小さな生命の尊さに気づくこと。 そして全てを包み込む大いなる自然の営みに感謝する心・・。 この瞬間の喜びを、何故か皆に分かち与えてあげたいと思う。 こんなこと今まで考えたこともなかったのに・・。 でも、その瞬間から、心と体の協調性は一斉にプラスの方向に向かい、 あなた自身の生命力が飛躍的に蘇りはじめます。 生命の美しい輝きを周りに放ちながら・・。 大自然が静かに共振して あなた自身の命の揺らぎを支えてくれます。 自分が自然の中、全ての一部として一緒に生かされていることに 謙虚に 気づいていくこと・・。 −再びお口の身近なお話・・ ![]() たまたまお口の中の病は、悪性の病でもない限り、 命に関わることはないのかもしれません。 でも、その激しい苦痛の悪い影響がどこか体の他の部位におきていたとしたら・・。 ふと、そんな考えが脳裏をよぎったりします。 痛みに脂汗をかきながらも、取りあえずは、歯や歯ぐきでよかったと・・。 我慢の限界に達すれば、さっさと歯医者に駆け込めば 何とかしてくれるだろう。・・そして二度とこんな痛みは御免だからとりあえず歯医者の言うことに耳を傾けて、予防に努めよてみようと・・。 そう、明日からは心を入れ替えて。 大丈夫、そんな気持ちで医院にいらして頂ければ 最大限、病や苦痛の改善に向けて努力しましょう。 アドバイスもしましょう。 では、少し冷や汗ついでに、別の視点から病というものを眺めて見ましょう。 ここでいう 病の意味とは何でしょう・・。 −今再び、病って・・ ![]() 人は何故、心身を病み、苦しまねばならないのでしょうか。 痛み、苦しみ、耐えられず、遂には自分以外にすがります。 医者であったり、家族であったり、そして時には神さまであったり・・。 病をきっかけに、不思議な縁に気づきます。 些細な痛みであっても、難病と呼ばれる大きな病であっても、何かそこには、 その人にとっての、とても大切な意味があるような気がします。 私たちは偶々、今の平和な世で、比較的経済的に恵まれた国の中で生まれ 親の愛に育くまれ、風雪を屋根の下でしのげ、 食べるもの、着るものにもそれほど不自由なく これまで生きてこられているのかもしれません。 病は、そうした当たり前の日常性から、突然私たちを孤立させ、不安のふちに陥れます。 そんな時、自分の知らなかった世界の片隅で、 恵まれていたこれまでの自分の世界とは異なった世界で 実は、今の自分と同じように 或いは今の自分以上に苦しんで生きている人たちの 存在が浮かび上がってきます。 こんな問いかけをしたことがありませんか。 どうして私だけがこんな思いを・・、と。 悲しみや苦しみの淵に立って始めて 世界の底辺に生きる人々の気持ちが理解できます。 そんなとき、自分たちも少しは恵まれた幸福と食の豊かさを彼らと分かち合えるよう何かをしてみようと・・ これまでの食べ物を朝だけでも抜いてみようか、週に一度は食を断って、その余った時間を静かに自然のなかで地球上のすべての調和のために観想してみようか 殺生の肉食から少し遠ざかってみようかとか いずれ食べられる運命の家畜の餌の穀物だけでも 世界の底辺の飢える子供たちに充分の食べものとしてまわせるのではないだろうか 浮いた食費で何か忘れさられた彼らの役に立てることをしてみようと わたしたちに命を授けてくれる植物や、動物や自然への畏敬と、世界の恵まれぬ同胞たちへの憐れみと共感 飢えて虐げられた人たちは、少なくとも我々よりは より神さまに近いところにいるのではないだろうかと・・ ほんの少しのひもじさという苦痛を自らに課せることから得られる真理への共感です。 その瞬間から、自分を取り囲むなにかが変わり始めます。そして自分にとっての病の意味も大きく変わり始めます。 こうした日常性を離れた主体的な食断ちは、心身を清め、忍従を理解し、自然への謙虚さを静かに目ざめさせてくれます。 古来、幾多の聖人により人類の平安を祈り、神へ近づくすべとして行われてきました。あとは、その叡智にゆだねるのみです。 病とは天が私たち自身に課せられた 大きな気づきへの 通過儀礼なのかもしれません。 一時しのぎの契約でない、永遠の気づきへの試練・・。 ![]() −かつてフリッツというお医者が言いました・・。 病とは、そして治癒への道のりは、 自己を振り返り、自己の存在の本当の意味を知り、 病を通じて、たった一人きりになり、 家族や隣人の愛に気づき 自分と同じように いや自分以上に恵まれない人々への 愛情に気づくことだと・・。 子供の素直な目を嫌う人はいないと。 神と同じくらいの愛を あなたの周りの人々や 生きとし生きるもの全てに注ぎなさい・・、と。 何のために私たちはこの世に生まれてきたのでしょう。 そんな素朴な問いかけを自分にしてみることから 全てが始まるのかもしれません。 病とは大いなる治癒への 処方箋なのかもしれませんね。 今回は、 どんなに激しくても ほんの些細な・・、 歯のお痛みでよかったですね。 ところで、”お灸”したことありますか。 病をいやし、或いは未病のための、断食に並ぶ天からの授かりもの、おばあちゃんの素敵な知恵袋。 東洋医学のエネルギーポイントである生きたツボを取って差し上げましょう。そこに、お家でせんねん灸などをしてみてください。よければ、ご家族みんなで、手の届かぬところはお互いに。みんなが健康で幸せであればと祈りつつ・・。 それからもう一つのお勧めは、古来自然医学の伝統的な知恵、カッピングによる”吸い玉療法”。 手動であれば比較的廉価のものが通販でも求められます。テキストも一般向けのものが何冊か出版されています。一家にワンセット置いておけば、これも家族みんなの健康を予防的に守っていける強い味方になってくれるはずです。長年の酷使で体にたまった淀んだ汚血を吸い玉で体表に浮かび上がらせ、邪気(悪い気)とともに体外に排除してくれる療法といわれています。 イスラム医学にも、インド古典医学にも、そして中国伝統医学にも古くから今日まで伝承されています。 普段、身近なところから大切な家族の健康づくりを自然医学の知恵を借りてしていきましょう。 ニンジンリンゴジュースなどによる週一回のプチ断食と大自然のもとでの瞑想、そして太極拳、合気道、ヨーガなどの呼吸運動、さらに漢方薬やお灸、吸い玉療法など、自然療法としてとても互いに相性がいいのです。 歯科でのかみ合わせの調節も、実はこうした自然医学に発想が近く、全身の協調による健康と、さらにそれを生かしてくれる周囲の大自然との調和を常に念頭において行っています。 そしてもしほんの少しの余裕があれば、ご提案があります。神様からの授かり物へのご恩返し・・。 世界のどこかで未来を失った孤独な子供たちのために、教育のための里親募金をしてあげてください。 江戸期までにあった日本人の質素で他を思いやる徳の知恵を今、また蘇らせましょう。穏やかな温かい愛のネットワークが、あなたから世界につながりはじめるでしょう。そして無垢で小さな感謝の便りが、あなたの孤独をもずっとずっと生涯にわたり、癒し続けてくれることでしょう。ささやかで温かな地球の平和のための東洋の癒しの教えです。 Dolphin |